私の生い立ち~悔しい思いばかりしてきた人生~

皆さんこんにちは!たえです。
今日は、私の生い立ちについてお話ししていきたいと思います。
私は、特にすごい家庭で育ったわけではなく、本当に普通の家庭で育ったと思います。
全然能力もなく、
センスもなく、
でも
そんな私でもブログやライターができる
っていう事をお話ししていけたらなって思っています。
父と母と兄と私
まず、私の父は 教師で、母は専業主婦で、そんな家庭に生まれました。
あと、兄がいます。
父は、教師といっても家では「勉強しろ!」っていう感じではなく、
うるさい人ではありませんでした。
母も、そんなにうるさくなかったのですが、専業主婦だったので、
必ず家にいてよく内職などをやっていました。
小学校から中学校ぐらいの時、
兄はすごく明るくてすっごいたくさん友達がいて、
勉強も、やってるようには見えないんですけど、
私から見ると、センスがあるように見えて、
やらなくてもできるような、テストがあるとパッとできてしまう感じでした。
そういうタイプの人でした。
私は逆に全然できなくて、何回も何回も勉強しないとホントに身に付かなかったので、
兄に対してすごく悔しい思いばかりしてました。
学生時代に味わった挫折
中学の部活生活
私は中学の時に、吹奏楽部に入ってトランペットを始めました。
そこで、何が私に合っていたのか分からないんですが、
トランペットがどんどん上達していきました。
わかる人はわかると思うんですけど、トランペットってすごく目立つんですよね。
そのなかでも、目立っている良いパートを吹いている人っていうのは、本当に上手な人で、
ファーストっていう一番良いパートを任された人しか目立てませんでした。
でも中学の時はそこまで上り詰めることができて、
よくソロパートを任されて、すごく活躍ができてちょっと自信がついてきました。高校の部活生活
高校に入って、普通の成績ぐらいの高校だったんですけれど、
そこでもまた吹奏楽部で入って、「活躍したいなぁ~」と思ってました。
ところが、ここで思い切り挫折を味わいます。
高校に入ってからも、同じ事をやってるんですけど、
なぜか思うように吹けなくなってしまいました。
理由はちょっとわかりませんでした。
中学の時に目立って吹けていた私だったんですが、
高校に入って、トランペットをやっている人も大体10人ぐらいいる状況になってしまいました。
それが1年生から3年生までいて、
そのなかで上のパートなんか当然選ばれるわけがありませんでした。
だんだん目立たないパートばかりになって、
いるんだかいないんだか分からない、
吹いてるんだか吹いてなくてもわからない
ぐらいになってしまって、
自分の自信を失っていきました。
それで、
そのまま何も活躍しないで「卒業」という形になって、すごく悔しかったのを覚えています。
保育士を目指した短大生活
その後、前もお話したんですけど、保育科の短大に入りました。
今まで中学校、高校と「こんなに勉強したかな~!!」と思うぐらい
短大の2年間っていうのはすごく勉強しました。
というのは、カリキュラムが2年間で資格を取るというものでしたので、
努力も必要で、色々こなすこともたくさんありました。
保育科といっても保育のことだけではなくて、
体育から図工から、学校の先生みたいな感じで全ての教科をやりました。
もちろん
音楽もやって、
ピアノも歌もやって、
やらないと資格が取れないのでやらざるを得なくて、
毎日課題に追われていました。
本当にめまぐるしい2年間で資格をとって、
保育士のお仕事をできるようになりました。
就職も、今はすごく保育士さんって需要がすごくあるので、求人もありますけど、
当時は、保育士って言っても就職できるかどうかも分からないぐらいの確率でした。
私の場合はあんまり募集がなかったんですけど、
家からそんなに遠くない保育園に就職することができました。
そこで結婚するまでの3年間、子どもたちとたくさん遊んで、楽しい時間を過ごすことができました。
まとめ
でも全然順風満帆な人生ではなく、その間や後には色々
母の死だったり、主人の死だったりがあって、今に至ります。
前にも言ったんですけど、本当にパソコンが得意だったわけではないです。
父が国語の教師だったんですけど、私も国語が優れていたわけでもないです。
パソコンなんてもってのほかで、機械なんて未だに分からないです。
正直、「パソコン壊れたらどうしよう!」ぐらいの気持ちでやっています。
でも、私でもここまでなんとかできているので、
家庭でできる仕事や、スキマ時間でできる仕事とかを求めている方たちも、
センスがなくても私のように出来るので、挑戦して欲しいなって思いで、
私の生い立ちをお話ししてみました。
読んでくださってありがとうございました!