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私の父親の話~今は感謝しかない~

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こんにちは。たえと申します。 外での様々な仕事を経験してきましたが「家でできる仕事をして、子どもが病気になっても遠慮なく看病ができるようにしたい」ということと、自分が「パニック障害」を経験しているため、自分の体調に合わせて家でできる仕事をするようになりました。 そして、2018年にブログを開設して6桁の収益を得て、2019年11月にwebライターに転身して、7桁の収益を得ることができました。 現在は、ライターの経験を生かして情報発信をし、本格的にネットビジネスで仕組みを構築中です。 身近な人を早く亡くした経験から、「終活」の大切さに気が付き、「終活カウンセラー」の資格も取得しています。 シングルマザーでも、心の病気があっても「在宅で仕事ができる」ということ、金銭的な面だけではなく、生きていくためには「心の充足感」が必要なことを大切にしています。 「人生を変えるには自分が変わらないと始まらない」「人生を変えることには、歳は関係ない」と様々なことにチャレンジしています。 失敗をたくさんしながらも、機械音痴で何も取り柄のない私がここまでになれたことを発信しています。 シングルマザーでも、心の病気があっても、取り柄がなくても、歳をとったと思っても、挑戦すればあなたも変われますよ!自信をもってくださいね。

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皆さんこんばんは、たえです。

今日は、『私の父親の話』をちょっとしてみたいと思います。

 

亭主関白な昭和の父

私の父親は”高校の国語の教師”でした。

教師といってもそんなに堅い人ではなくて、

私に「勉強しろ!」とも言わない人でした。

 

でも、小さい頃父と出掛けた記憶っていうのは私には全くないんですね。

 

母がいつも私と一つ上の兄を連れて、

近くの公園とか、色んなところにすごく連れてってくれたのを覚えてます。

 

父は教師なので土日休みのはずなんですけど、

部活をやっていてほとんど居なかったんですね。

 

子育てを母に本当に任せっきりだったので、

私は次第に父のことが嫌いになっていきました。

 

そのくせ、母を働きに行かせないっていうか、

”昭和の父”って言ったらそのもので、

家庭に母を縛りつけておいて、

束縛も強くて本当に昭和の人っていう感じで、

自分はお茶すら入れないような”典型的な昭和の父”でした。

 

でも、私が高校に上がってから、

やっと母に外で働いていいっていうことを許したんですね。

 

でも母が外で働いても、結構口うるさくて、

仕事から帰ってくる時間遅いとか、

飲み会があって行かせても、後で文句言うみたいな

そういう父を見ていて、私ははっきり言って「嫌い」でした。

 

そんな父が変わったきっかけ

そんな父が変わったのは、”母の癌”が分かってからです。

 

母が亡くなったのは51歳なんですけど、

癌が発覚したのは、多分45歳ぐらいだったと思うんですね。

 

そのぐらいから、

朝ごはんはパンを焼いて、コーヒーを入れて、

父が家族みんなの分作るようになったんです。

 

少しずつ変わってきて、

 

そのうち兄が結婚して、私も結婚して家を出ました。

 

で、母の癌の容態っていうのは、最初は良かったんですけども、

約5年再発しなければ大丈夫っていう5年目に再発してしまって、

そこから本当に調子が良くなかったんですね。

 

私は実家のそばに住んでたので、

毎日のように行って食事の支度をしたりしてたんですけども、

父を見ると、洗濯や買い物とかもするようになっていました。

 

昔の父からは考えられない光景

母が亡くなってしまって、

私はその時妊娠8か月で、長男がお腹に居ました。

 

産後私はどうしようかな…って悩んだんです。

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というのも、主人の方の家庭もちょっと複雑で、

主人のお母さんが突然脳出血で亡くなってしまったので、

もともと両方ともお母さんのいない状態になってしまったんです。

 

産後ってやっぱり女の人は、

自分の母親がいることが一番安心だと思うんですよね。

 

その母親が居るはずだったのに居なくなってしまったったことで、

もう私は産後のことをどうしようって思っていました。

 

そうしたら父が、

「昔自分が子育てしなかった罰だなー」って言って、

長男が産まれてしばらく実家で過ごしたんですが、

その時に父が積極的に長男の面倒を見てくれたんですね。

 

昔の父から見たら考えられない光景なんです。
長男は本当に夜泣きがひどくて、

抱っこしていないと駄目な子で、

私はもうノイローゼになる寸前というか、疲れ切ってましたね。

 

主人はどうしてたかっていうと、主人は不規則な仕事をしてたので、

ほとんど私が見るしかなかったんですよね。

 

父はその時まだ教師を退職してはいなかったんですけど、

学校が終わるとすぐに帰ってきてくれて、

すぐ長男を抱っこしてくれて、

夕食の時は片手でご飯食べながら、片手には長男を抱っこしてくれる

という”信じられない光景”でした。でも本当に助かりました。

 

特に日曜日なんかは父ももう仕事休みなので、

私が寝ていて長男が泣くとそーっと入ってきてくれて、

長男だけ連れていって、ずっと抱っこしていてくれるんですね。

 

なので本当に助かりました。だからすごい感謝してます。

 

そうやって私の父親の抱っこで育った長男っていうのは、

本当に今もおじいちゃん子で、すごくおじいちゃんのことを大切にするんですね。

 

父もあんまり感情を出す人じゃないんですけど、

父の立場だと、

自分の妻を亡くして、娘の子どもの面倒を見て、

でさらにその後、私の夫が亡くなるわけなんで、娘の夫の死にもあって、

なんか本当に私苦労ばっかりしかかけてないなというふうに思いました。

 

まとめ

若い時は、「ほんと嫌い!」って思った父なんですけども、

今は本当に感謝しかないです。

 

生きてるうちにって言うのも変な言い方ですけど、

”恩返しを絶対にしたい”と思っています。

 

今日はちょっと個人的な話でしたけど、

聞いてくださってありがとうございました。

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こんにちは。たえと申します。 外での様々な仕事を経験してきましたが「家でできる仕事をして、子どもが病気になっても遠慮なく看病ができるようにしたい」ということと、自分が「パニック障害」を経験しているため、自分の体調に合わせて家でできる仕事をするようになりました。 そして、2018年にブログを開設して6桁の収益を得て、2019年11月にwebライターに転身して、7桁の収益を得ることができました。 現在は、ライターの経験を生かして情報発信をし、本格的にネットビジネスで仕組みを構築中です。 身近な人を早く亡くした経験から、「終活」の大切さに気が付き、「終活カウンセラー」の資格も取得しています。 シングルマザーでも、心の病気があっても「在宅で仕事ができる」ということ、金銭的な面だけではなく、生きていくためには「心の充足感」が必要なことを大切にしています。 「人生を変えるには自分が変わらないと始まらない」「人生を変えることには、歳は関係ない」と様々なことにチャレンジしています。 失敗をたくさんしながらも、機械音痴で何も取り柄のない私がここまでになれたことを発信しています。 シングルマザーでも、心の病気があっても、取り柄がなくても、歳をとったと思っても、挑戦すればあなたも変われますよ!自信をもってくださいね。

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